スロットマシン

スロットマシン(slot machine)狭義には、リールマシンを指す場合が多く、とりわけ日本においては、リールマシンのみ、もしくはリールマシンとビデオスロットのみを限定して指す言葉として用いられる場合が殆どである。広義には、コインなどを投入する事によって自動的に稼動するギャンブル機の総称であり、更に限られた状況においては、自動販売機や、コインを投入することで作動するアーケードゲーム機までも包括する例さえ見られる。日本版である本項では、日本国内の認識を優先させて、リールマシンについて説明することに主眼を置くことにするが、混乱・混同を避けるため、本文中でスロットマシンと記述する場合は、リールマシンに限定せず、広義のスロットマシンを指すものとし、狭義のスロットマシンを指す場合には、リールマシン、あるいはビデオスロットと記述する。

歴史

リールマシン以前

コインで作動するチャンスゲームの存在がアメリカにおいて確立されるのは、南北戦争(1861年~1865年)以降のことである。1870年台中頃には、コイン作動式の競馬ゲームがアメリカの酒場で稼動し、この種の機械が新たな工業製品の分野として成立するようになった。1890年台中頃までの機械は、無数のピンを打った盤面にコインを投入し、所定のポケットに入れば勝ちという、日本のパチンコを思わせるゲームが殆どであった。1895年頃になると、面を放射状に区分けした円盤を回転させ、所定の位置にどの区間が停止するかを予想するという、ルーレットを縦にしたようなゲームが多数登場する。この頃の機械は、重厚な高級家具を思わせる装飾を施したものが多い。また、同じ時期に、トランプの絵が描かれた無数のフラップが付いている軸を5個並べて回転させ、回転が止まった時に見える5枚のカードの組合せで勝敗を決める、ポーカーをモチーフとするゲーム機も多く見られた。

リールマシンの登場

現代のリールマシンのように、リールと呼ばれる回転輪の側面に数種類のシンボル(絵柄)を等間隔に描き、これを複数個並べて回転させ、停止した時の所定の位置のシンボルの組合せで当たり外れを決定するというゲームスタイルは、米国のチャールズ・フェイ(Charles Fey 1862~1944)によって発明された。彼が1899年に発表した有名な「リバティ・ベル(Liberty Bell)」は、初めての3リールマシンとして紹介される事が多いが、実はその前年である1898年にも、同じ機構でシンボルにトランプの柄を使用した「カード(Card)」が発表されている。いずれにしろ、フェイが、現代のスロットマシンの父であると言う評価に揺らぎはない。

シンボル(絵柄)の変遷

チャールズ・フェイの「リバティ・ベル」で使用されていたシンボルは、ベル、星、ハート、スペード、ダイヤモンド、蹄鉄の6種類であった。スロットマシンの代名詞にもなり、時としてギャンブルゲーム全体の象徴にもなるフルーツ柄が登場するのは、1910年にミルズ(Mills)社が開発した「リバティベル・ガム・フルーツ」が最初である。これは、ギャンブル機との指弾を避けるために機械の横に付け加えたガムの自販機に因んで採り入れたもので、使用されたシンボルは、ベル、ガムの商標、プラム、オレンジ、レモン、スペアミントの6種類であった。ミルズ社は、同じ年に引き続きガムの自販機が付かない「オペレーターズベル」を発表し、その際にスペアミントシンボルはチェリーシンボルに差し替えられた。これらフルーツシンボルは、BARシンボルに姿を変えたガムの商標と共に、現代に受け継がれている。但し、現代のリールマシンは、何も描かれていない「ブランク(blank)」が加わり、フルーツシンボルは、ダブルバー(「BAR」シンボルを上下に二つ重ねた絵柄)、あるいはトリプルバー(同じく上下に三つ重ねた絵柄)など、より序列がわかり易いBARシンボルのバリエーションに置き換えられる傾向にあり、チェリーシンボルを除いて使われる機種は少なくなっている。

ホッパーの登場(エレクトロニクスの導入)

1964年、バーリー(Bally)社は、「モデル742」シリーズにおいて、払い出し機構に初めてホッパーを採用した。それまでの払い出し機構は、払い出すコインを細長いチューブの中に平らに一列に積み上げる形で収納しており、少し大きな当たりが続くとチューブが空になってしまうという問題を抱えていたが、コイン容量が格段に大きいホッパーは、この問題を解決した上に、より大きな当たりも自動的に処理できるようになった。この革命的な払い出し機構を装備したバーリー社の機械は、「バーリールック」と呼ばれたモダンな外観と精力的な営業活動の助力を得て、瞬く間に市場を席巻した。しかし、ラスベガスでは、2003年頃より、機械にプリンターを内蔵し、コインの代わりにバウチャー(証書)をプリントアウトすることで払い出しとするコインレスタイプのスロットマシンが急速に普及しており、革命的だった払い出し機構は、徐々に過去の技術になろうとしつつある。

また、ホッパーを搭載すると言うことは、すなわちエレクトロニクスを導入すると言うことでもあった。これはゲーム結果の検知にも利用され、それによって、内部の構造は従来の複雑な機械仕掛けと比較して大幅に簡略化された。

ステッピングモーターの登場

リール機構にも大きな改革が起きている。1980年初頭頃までの機械は、ハンドルを引く動作を利用して伸ばしたばねを動力源としてリールを回転させ、リールの停止及び位置の検知は、歯車、金属製のアーム、ブレードスイッチなどを組み合わせて機械的および電気的に行っていたが、ステッピングモーター(パルスモーター)が発明されると、これらの動作は全てコンピュータソフトウェアにより電子的に行われるようになった。この方式では、所定の位置に停止するシンボルの選択を、ソフトウェアでいかようにも設定できるので、従来の方法では事実上不可能であった天文学的な数字の組み合わせ数も実現できるようになった。なお、このようなリール機構を米国市場向けの機械に初めて導入したのは日本のユニバーサル社(当時)で、それが1985年のこととする資料が存在する。しかし、同じリール機構が、英国では1982年に「ナッジ・マシン」という国内市場向けに、そして日本国内では、おそらく英国よりも早い時期に「パチスロ」というやはり国内市場向けに導入されており、つまり現代リールマシンの根幹部分の革命は、日本を起源とする可能性が高い。


リール部分のさまざま

リール部分は通常3リールことリールが3つだが、5リールのスロットマシンもある。また、リール部分は昔から単なるリールがいくつかそろっているだけだったのだが、近年ではテレビ画面のものもある。テレビ画面にはいくつかのリールが回っている映像と、またカジノ内のテレビ画面スロットマシンには、投入したコインの額数なども表示される。

リールに描かれているもの

リール上には複数の絵柄が配される事が普通だが(7と空白しかないスロットマシンも存在する)、その絵柄デザインは機器により多彩を極める。

最近のスロットマシンは主にビデオスロットが主流となっており、グラフィックによる表現の幅が多彩となったことから、製造される機器の「世界観」を表したものが多く用いられる。ただし、その中でも最低役の絵柄としてチェリーが用いられたり、最高役(あるいはそれに準ずる役)の絵柄として7が用いられるという一種の「伝統」は存在する。

プログレッシブ・ジャックポット

大当たりのことを一般に「ジャックポット(JACKPOT)」と呼ぶが、中でも賭け金の一定の割合を特定の当たり役の配当に加算する事で賞金を増加させるシステムを「プログレッシブ・ジャックポット」、あるいは単に「プログレッシブ」と呼び、通常の大当たりとは区別してプレイヤーに対するより強いインセンティブとしてアピールされる。このフィーチャーはスロットマシンには馴染み易いシステムで、1960年代には既にこのフィーチャーが取り入れられているマシンが出現している。プログレッシブ・ジャックポットには、以下のタイプがある。

  1. 設置されたマシン単体で積み上げられる「スタンドアロン」
  2. 単一カジノ内の同種マシンで一つのプログレッシブ・ジャックポットを共有する「リンクド・プログレッシブ」
  3. 複数のカジノを跨ぐ同種マシンで一つのプログレッシブ・ジャックポットを共有する「ワイドエリア・プログレッシブ」
  4. リンクド・プログレッシブの変形で、ゲームの結果によらず、いつ、誰に、どんなタイミングで当たるかわからない「ミステリー・ジャックポット」

これらのうち、「ワイドエリア・プログレッシブ」は、ステッピングモーターの導入によって膨大な組み合わせ数を作ることが可能となったからこそ実現できたもので、当選賞金の世界記録を更新するなどでときおり一般にも報道されることもあり、現代のスロットマシンを象徴するフィーチャーの一つと言える。

なお、「プログレッシブ・ジャックポット」を指して、単に「ジャックポット」と称する混乱がマスコミの記述に散見される。必ずしも誤りではないが、プログレッシブはジャックポットという概念の部分であり、これらが同義語と混同される恐れがあるような用法には注意すべきである。

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